仰々しい画像を作成してみた。
駿という文字。上のふたつを比べて頂きたい。
同じ人が書いたのだ そうだ。
僕も筆跡鑑定の能力など持ち合わせてはいないが、
上は前回掲載した書類。
上は件のお婆さんが
友人に出した年賀状。。
もう一度
上の駿の字を並べてみると
馬という漢字の横あえて分解してカタカナで上から呼ぶと左がハムで、右がムハ
ムハは正式な漢字として流通しているのだが、ハムは存在しない漢字である。
しかしこのお婆さん、生まれた時から「誤った漢字」を正しいと思い込み、
使用していたのだ。更に痴呆が始まるのだが、いくら痴呆と言えいや、痴呆だからこそ
反射的に出てくるものは「長年使った体に染み込んだもの」である。
しかし今回の一件、ハムとムハが入り乱れているのがややこしい。
銀行とのやりとり、お金の動く場所に特にムハ(正しい漢字)
が使われているから面白い。
ハム(誤った漢字)が本人でムハ(正しい漢字)が偽造疑惑なので二重にややこしいが。
果たしてこの偽造疑惑、なぜ二つの漢字が入り乱れているのかという疑問は
どのような議論と結論を生んだのか?
次回。
倫理道徳を学ぶ会の同志達が毎回傍聴に行った。結論ありきで裁判が行われているのではないかと、素人が観ても感じ取れた。原告側の肝心要を記載せずに判決が行われたのだ。被告側信金は東京から多数の弁護団を投入した。裁判官も天下りを示唆しているかのようにお見受けした。原告はストレスが重なり脳障害となった。先祖伝来の財産も全て失った。信金・建築会社と町長も一体となった裁判は、将に権力と金力で勝訴出来る印象を与えたのだ。公平な裁判は一体どこへ行ったのか。裁判官の道義的責任は如何なものかと、傍聴人一同の感想だ。正義は何処へ行ったのか。卑怯な輩が堂々と渡り歩く社会から誠実な人が報われる社会でなければならない。
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